もう、何年前になりましょうか。
舞台の最中に指揮者が棒を落としたんですよね。
以前から体調が芳しくない事は皆さんご存知でしたが、指揮棒を落とされた瞬間、こちらからは何か居眠りをされていたようにも失礼ながら見えたのです。
しかし、今考えれば実際はあの時気絶されていたのだと思います。それでも音楽はその瞬間にも流れていたわけですから、私達はそこで驚いている訳にもいきませんでした。
弦のリーダーがそこで立ち上がり、そこで私達に正しいテンポを示したんです。
非情なようですが、芸術は一度走り出したら止まらないし、止めちゃあいけないんです。止めるべきものでもありません。
指揮者のお体を気遣いながらも、私たちは今動いている私達の音楽に集中する事に徹しました。
とても厳しい指揮者の方でしたから、そこで音楽を止めたりしたら、
「何やってんだ。僕のことは良いから、動いている音楽に集中しろ!」と大喝なされた事でしょう。
演じ手なんてそんなものなのです。
アーティストと等と呼ばれますが、「アート」というエッセンスを一番に抽出しホールや劇場にあふれる芸術の増幅を一番に担っているのは、実はお客様なのです。私たちは舞台においてお客様の共鳴や増幅でアートを飾らせていただく。
私達パフォーマンサーはその呼び水を送っているに過ぎないのです。
考えてもみてください。お客様が担うべきアートの増幅や共鳴無くして、逆に本来お客様がお楽しみになる部分のパイをアーティスト側が全部取ってしまい、100%フルパワーでのエナジーで舞台から送り続けていたら、それは、それ以上ない程の「利己的」なアートではないでしょうか。
私たちが楽しまなきゃ、お客様も楽しめない!
というパフォーマンスもよくお見掛けしますが、残念ながらその様な公園や興行に限って結局パフォーマンサー達の「空回り」に終わり、せっかくのその「私たちが楽しまなきゃ、お客様も楽しめない!」という熱い思いが伝わらないまま幕、という事になってしまいがちです。
これを一般的には学芸会レベルと評されます。もちろん多くの学芸会は、すべてがガラスの仮面レベルとまでは言いませんが、とても健闘なされているものと思います。
パフォーマンスにおいてすべての喜怒哀楽を感じ表現するのはお客様です。演じてはお客様が客席にてそれを醸し出して頂けるよう、BESTを尽くします。このBESTとは、パフォーマンサーであると同時に、演じ手という職人気質のクールささえも常に持ち合わせているという事。
クールであるが故に自分の身を挺してお客の感動を自然に呼ぶことが出来る。
名作ライムライトで最後が舞台上でのカルベロの痛みからの苦悶の表情で終わってしまったならば、その命を賭してまで願ったお客からの最後の喝采と笑いは取る事が出来なかったでしょう。
とはいえ、私達も猛省しなければならないのですが、彼が棒を落とした瞬間、私たちはそこに現在流れていたパフォーマンスシーンと全く関係のない、彼を案ずる心で「揺れて」しまった。
勿論、時間にしてみれば、数秒あるか、ないかの世界なんですが、その「数秒あるかないか」の「揺れ」を外に出してしまった事は反省すべきことだったと思います。
話は変わります
明治神宮で、おみくじを引かれた事がありますか?
初詣でこれほど有名な神社は無いでしょう。初詣に延々と並んだという人の写真はSNSでも散見しますが、「そこでお御籤引いた」という人の写真はあまり見かけません。
写真がその御籤です。
失礼ながら、引いた直後に巫女さんに「これって何吉ですか」と聞いてしまいました。
巫女さんもまたコロコロと玉の様な典雅な声で「明治神宮の御籤は吉凶を告げるものではござりませぬ~」と。笑
明治天皇陛下は、多く、歌を詠まれたお方でした。
今、みくじを引く人にとって一番必要な事が書かれてある歌を引き当たることになっております。その歌を見て日々励まれますように。と。
あらし吹く世にも動くな人ごころ
いはほに根ざす 松のごとくに
たとえ、どのように風が吹きすさぶ、激しい世の中の変動に会っても、あの岩の上にどっしりと根を張っている松の大木のようにしっかりとした信念を持って、心を動揺させてはなりません。
世の中は、いつも平穏無事ではありません。お互いの生活でも、吉凶禍福は次々と起こって来ます。この様な社会に生き抜くためには常に修養につとめ、岩の上の松の様に、不動の精神の根を養いましょう(不動の信念)
この様に書かれています。
私は全世界と20年仕事をし、アメリカとも長く仕事をしたのですが、イチローのバッターボックスで投手を見据えるあの表情に、老いたアメリカ人は「戦時中に見た日本兵そっくりだ。日本兵はみなああした髭で冷静にしかし虎視眈々とした目をした奴が多かった。手ごわい敵だった。」と話していました。
時代も令和になりました。昭和、平成、そして令和と3つの時代を生きています。
平成元年に生まれた人たちとお酒を飲んだ時に「あなた方が生まれた時くらいに昭和の天皇陛下が亡くなった時に、国民は喪に服すために、『歌舞御曲は控えなさい』として音楽を演奏することを遠慮させられたんですよ。」というと、そういう事を当時国がやったなんて信じられないと驚いた表情を見せていました。
2019, 2018位に生まれた子供達は大変です。物心というものがそろそろつき始めている時なのですが、そのつき始めた物心に、人間とは、「おそとではマスクをして顔を半分隠すものなのだ。」というのが常識として芽生え始めているというのです。風の谷のナウシカに「マスクをしないと5分で肺が腐る死の世界」というセリフがありましたが、あそこまで大げさではないが、あれに近い常識が、その時にうまれた子供に着きつつあると。
その時代での常識はもちろん、一旦、国境を超えると面白い私たちの常識外の事に出くわします。そうした体験を20年してきました。そうした事もお伝えしながら、お互いに揺れない人間を目指したいものですね。
Welcome to A Joe’s New World!
コメント